釣りの科学
釣りと教育
水産学とは水産生物を食料として利用するためのものです。そこに含まれる漁ろう技術(捕獲技術)、養殖技術などの開発、それに伴う魚類の研究も最終的にはそこで得た魚を、人類の肉に変えて行くために進められていると私は考えています。
水産王国としての日本では魚の利用法は、「食べる」といったものの他に、水族館などに代表される「鑑賞する」「飼育する」という利用法があります。そして「釣る」という行為でも魚は親しまれています。後者は、「食べる」という目的とは大きくかけ離れていますが、「自然を学ぶ、生き物を学ぶ」という観点からは多いに利用価値があります。
水族館で魚を見るとは、人の心は落ち着き、幻想的に私たちは自然の中に連れ込まれていきます。それはあくまで疑似体験ですが、心の教育としては有効的です。それの縮小版が家庭で魚を飼うということになりますが、それによって人は生物の命を感じ、学ぶことができるのです。
そして自分で魚を飼うとなると、いつも自分のそばに水族館のミニチュアがあり、自分で世話をするのですから、さらに癒し効果も高まることでしょう。
ここでいう釣りは、漁師の一本釣りと異なり余暇を利用して遊びでするものです。
今日本では「遊漁」として扱われています。プロの漁師でなければ、網で魚をすくったり、ヤスで刺したりする事も遊漁に含まれますから、この遊魚と言う言葉が適切であるかどうかは疑問です。
しかし釣り自体は「自然学習」の原点にあると考えられます。
魚という生物が棲んでいる場所へ赴き、その魚の食性などの生態を考えて釣るわけですから、そこにチャレンジ精神が生まれます。相手が生き物ですから、コンピューターゲームのようにプログラムされた世界の中で行うものではありませんから、いつも同じ答えが帰ってくるはずもありません。
どこに魚がいるか考えて探すという冒険心も生まれてきます。いつもそこにいるのではなく、どこにいるのかと追い求めるのです。与えられることに慣れてしまった私たちですが、手にするために努力するという行為は貴重なものです。
季節や天候によって魚の都合よりも釣る側の人間が自然のなかでどんな用意をしなければならないかも感じることができます。ハリに掛った魚は当然暴れますのでそれが「引き」となって伝わってきます。これを生命の躍動感として体験できます。多くの種類の魚を狙えば、魚にとって習性が違うこともわかります。
以上は「生き物を学ぶ」ための一例ですが、昆虫採集などでも同じ効果が得られると考えています。しかし、水産学として魚を利用する方法の一つとして「釣り」を取り入れることは、単なる学問ではなく、夢を育み、未来を見つめる貴重なものとなるでしょう。
その根底には「魚が棲んでいる環境」があるからです。残念ながら都会にはその条件を満たす場所がありません。人が大人に成長したときに、昔を、故郷を振りかえった時には「小鮒釣りしかの川」はなくなっているのです。
次世代の子供達のために「魚の棲める豊かな環境」を考えて行く時、その重要さを教え、生き物と接する手段としても「釣り」をすることは大切であり、現実を見つめる自然学習の手段であると私は考えています。
そうです。
「釣りは自然科学への第一歩なのです。」
大学の釣りプログラム
今、東京海洋大学の産学・地域連携推進機構(リエゾンセンター)でフィッシング・カレッジという公開行事で教育を行っています。これの前身は「釣りの科学」というプロジェクトでした。
これは資源育成学科の羽曽部正豪(はそべまさひで)准教授が提案し、国立大学としては初めて釣り教育がとりいれられたものです。私はその中でアドバイザーとして関わったのが大学との最初の接点です。
私は幼少の頃から釣りが好きで、魚が好きでした。その魚のことを学ぶべく、北里大学の水産学部(現・海洋生命科学部)へ行ったわけです。
なぜ北里だったのか?それは当時(1978年ごろ)絶滅するかも知れないと懸念されていた渓流魚のヤマメやイワナの野生魚を釣りたい、この目で見たい、触れてみたいと考えたからです。学部校舎は岩手県の三陸海岸(大船渡市越喜来)にあります。東北新幹線が開通する前は日本にチベットと呼ばれるほど辺鄙な場所でした。交通も不便な場所でした。
しかしそこには渓流魚のパラダイスがあったのです。
在学中に出会った井田斉(いだひとし)助教授(、現在は退官され、名誉教授)に、「釣りと学問は切り離して考えなさい」と言われました。
確かに魚類学は、釣りとはまったく異なるものでしたが、それを知っていると釣りにも役立つ興味深いものばかりでした。魚に対するなぜ、なぜ、なぜがわかるようになるのです。そして釣りをするために川へ行くこと、これは研究者にとって大きな収穫を得るものなのです。
相手が生物である以上、机上で学べることには限界があります。特に生態学なのですから、魚がすむ環境や条件など、ありとあらゆるパターンを知っていることは、直接の学問、知識、経験の蓄えになりま、裏づけになります。井田先生も「自然科学は、現場から学ぶものだ。」と教えてくれました。
そうです。今では「釣りは自然科学への第一歩」なのです。と自信を持って言えます。井田先生もそう言ってます。
その気になれば、釣りに必要な魚の生態学はすべて学ぶことが出来のです。釣りを科学することが可能なわけです。ただし日本の水産学はすべて、水産物を「人間の食用として利用する。」という目的のために発達してきました。
ですから「なんで大学で釣りなんだ?」と相手にしない学者、教官も多くいることも事実です。
「釣りの科学」のプロジェクトで考えていた主な方向性はいくつかありました。
水産資源が枯渇しているという現在、専業漁師が釣り人を相手にする遊漁案内業として生活を切り替えたり、食用として盛んに養殖されていたニジマスなどが、活魚として放流する方向へと利用価値が変わってきています。第1次産業が、第3次産業へと転化しているのです。この事実は、全国の専業漁師15万人弱に対して、遊漁者1200万人という数字を見ていただければ、その重要度がどれだけのものかがお分かりいただけると思います。
そこで当機構でも、遊漁も重要な水産資源の活用法であるという認識を水産全体に謳おうではないかという考え方が生まれました。
また魚を通じて自然を知る、生物を知るという教育に利用しようと言う考えもあります。これに関しては「釣りと教育」のコーナーを参照にしてください。
2011年の3月11日、東日本材震災で北里大学三陸キャンパス(海洋生命科学部)も被災しました。学生の住んでいた漁村も津波に襲われました。
今年度からは相模原キャンパスで海洋生命科学部は教育を行っています。三陸へ戻れるのはいつの日でしょうか?
人間向上
釣りってなんだ?
なぜ私たちは釣りをするのだろうかと、まじめに考えたことがありますか?なぜ釣りが面白いのだろうかと考えたことがありますか?
「そりゃ、あの魚の引きがたまらないからさ。」と答えられる方もいらっしゃるかと思います。いいえ、ほとんどの方がそう答えるかもしれません。
ではなぜたまらないのか?という問いに対して答えられますか?、、、、、、。
私の答えはこうです。魚が掛かったときの生物反応、つまり引きを味わうことで、太古から人間のDNAに組み込まれている狩猟本能が刺激されるからなのです。魚という獲物を求めて狩りをするとき、日常生活でなえすぎた野生の感覚を呼び戻すことが出来るのからなのです。
また釣りは野生の生物に触れる最も身近な手段であるといえます。しかし究めようとすればするほど奥が深いゲームでもあります。相手が魚、自然であるがために、こうすればこうなるといった方程式を解くようには行きません。コンピューターゲームのように、予めプログラムされた世界でのゲームではないのです。ここでこのボタンを押せばいいなどという攻略法もありません。そのために考えるのです。
時には魚の方から勝手に掛かってくるようなこともありますが、いつもそうではありません。それは相手が言葉の通じない魚だからです。そしてその魚の生息場所は水の中、私たち人間とは生活空間が異なります。ゆえに、探究心、想像力が働きます。魚がどこにいるのか、どうすれば釣れるのかを考える戦略が必要になってきます。
釣りに興味を持った方、のめり込んだ方はこれを攻略せんがために、ありとあらゆる状況を考察し、作戦を考えて次回の釣りに挑みます。多くの場合、それはことごとく失敗に終わったりするものです。しかしそれは貴重な経験になります。経験を多く積むことによって、さらに頭を使い、研究していくわけです。
釣れないからといって気長に待てるような人は釣りには向かないと言われます。短気というか、その状況に満足できずにあれやこれや考える人のほうが釣りに向いているのではないでしょうか?
しかし時には忍耐とも言うべき待つ時間も必要です。そこには「釣りたい」という一心からの努力が存在するわけです。
私自身のことを振り返ってみると、これだけ釣りに関して努力するエナジーを、もっと他の事に向けたら、人生が変わっていたかもしれないと思うこともよくあります。しかし現状に不満なわけでもありません。
この年になっても「夢とロマン」があるからです。 釣りの経験で言えばスティールヘッド(降海型ニジマス)がそうでした。この魚に狂わされたことが今のベースになっています。
釣りにのめりこんでいる人は、目標達成のために並みならぬ努力をすることが出来るという潜在的な底力が備わっているともいえます。
その力を、人間関係の構築、釣りがもたらす新たな出会いをよりよくする方向へ注げば、周りの人みんなを幸せな気持ちにすることが出来るはずです。